關原紫光 SEKIHARA SHIKO|關原紫水 SEKIHARA SHISUI

人形師の日々 |

稲盛倫理賞と京都賞の副賞に選ばれて

稲盛倫理賞と京都賞の副賞に選ばれて

前回は稲盛財団の京都賞と稲盛倫理賞のご紹介をしました。
(前回の記事はこちら http://kyo-ningyo.net/blog/620/)

 

2016年より、両賞の副賞として關原紫光作「祝賀」を採用していただいております。

今回は、どのようにして稲盛倫理賞・京都賞の副賞に選ばれたのかをご紹介させていただきます。

關原紫光の京人形「祝賀」が副賞に選ばれたのには、不思議な出会いがありました。

 

始まりは2012年5月の京都駅ポルタギャラリー「華」で開催された個展に、
財団の広報の方が、偶然ご来場された時です。

その時は名刺交換だけさせていただいたのですが、

3年後の2015年3月5日に

「稲盛理事長が『利他・慈しみ・思いやり』をテーマにした人形を探している」

とその方からメールがありました。

 

メールをいただいてから数日後、実際に私の工房に来ていただき、その後も、いろいろと
検討した結果、2015年の稲盛倫理賞の副賞として「祝賀」を贈呈することが決まりました。

 

実を言うと、以前私は、1983年に立ち上がった「盛和塾」の会員として、

塾長である、稲盛塾長から「人生哲学」「経営哲学」を学ばせていただいた事がありました。

 

しかし、当時父・紫水が高齢であった為、まだ父が仕事に打ち込める間に

知識や技術を受け継ぐことこそ、私が最も優先することではないかと思い、

盛和塾を続けるべきか迷っておりました。

その事を、2010年、関西地区塾長例会にて稲盛塾長に質問したところ、

「盛和塾で学ぶことも大切だが、今は芸術作品ともいえる京人形を、高齢のお父上から学ぶことを優先した方が良い」とお答えいただき、その言葉に心を決め、退会させていただきました。

 

その後、海外などの展示会が続きましたが、

2011年から、父は入院して介護生活となり、退会してから父が亡くなるまでの期間は、貴重な学びの時間となりました。
あの時の稲盛塾長のお言葉は、いつも心の励みとして残り、とても感謝しております。

 

そういった、稲盛塾長とのご縁もありましたので

今回の事で、少しでも恩返しになればという気持ちでした。

 

初めて關原紫光の京人形「祝賀」が贈呈された年、

2015年10月の米国ケースウェスタンリザーブ大学での稲盛倫理賞の授賞式で、
大絶賛を受けたとご報告をいただきました。

担当者の方からは、

「特に先方の大学の方々からは、『稲盛理事長の崇高なお考えが、そのまま形になったようで素晴らしい』と大絶賛だったそうです。また受賞者の方も、『いつまでも眺めていたい』と、なかなか講演を始めようとされなかったと聞いております。本当に有難うございました!」

とご連絡をいただき、作者冥利に尽きると思いました。

 

アメリカでの好評を受け、その年の11月に行われた京都賞の授賞式に、ご招待を受けました。

そして、稲盛塾長より

「アメリカで、とても好評だったよ!ありがとう!!京都賞の副賞もお願いするよ。」

と退会してから5年ぶりの再会にお褒めの言葉をいただきました。

まさか塾長と、このような再会が出来るなど夢にも思わなかったことでした。

 

「真面目に真剣に。人生の豊かさは仕事に打ち込む中で生まれる」と教えていただいたように、
明日を信じ、コツコツと生きていると、奇跡のような事が起こると感じました。

 

2016年より、稲盛倫理賞と京都賞の副賞に「祝賀」を採用することを

正式にご依頼を受け、今日に至っております。